ロードバイク

取り払うことのできない無意識の壁

あらかじめ言っておくと,この記事は特に面白くはない.画像はアイキャッチしかないし,こんな基調の堅苦しい文章が最後まで続く.こんな記事を読んでためになるのは偶然にも私と同じ考えをしている人ぐらいだろう.しかし私の頭を整理するためには色々と書いておく必要があった.ロードバイクやマラソンで好成績を残そうとして,もがき始めてから7ヶ月が過ぎた.もやもやと考えたことをまとめておく.

なぜロードバイクやマラソンで好成績を残したいのか?

はっきり言って勝つのは好きだ.それも競り争って勝つのはサイコーだ.そうすると実は種目は何でもよかった.マラソンを選んだのは中学高校で陸上部に所属していたから,だいたいの練習や走りの感覚は掴めているからだし,ロードバイクを選んだのは祖父が村の自転車屋さんをしていて身近に自転車があったからだ.
種目は何でも良いとは言いつつも私の中には2つの基準がある.
1つは個人競技であることだ.実は私は過去にもう1つスポーツをしていた.それは小学校の時のソフトボールなのだが,試合に勝ったときは一体自分がどれほど勝ちに貢献したのか分からないし,負けたときもはっきり言って何に悔しがれば良いのか分からなかった.自分の頑張りが同結果に影響しているのか分からない上に,もしかしたらチームの足を引っ張ってしまっているかも知れないと思いながらプレーをしていた.そんな思いでプレーしたソフトボールが楽しいはずがなかった.その点個人競技はシンプルだ.勝とうが負けようがすべて自分の責任である.言い訳なんてできるはずもない
もう1つの理由は誰が勝ったかが誰の目にも分かること.フィギュアスケートは見ていて優雅だしまるで芸術なのだが,なぜ1位の選手が1位なのか私には分からない.フィギュアスケートを否定するつもりはないが,私にはもっとシンプルなスポーツが良かった.だからマラソンとロードバイクを選んだ.どちらもゴールに1秒でも速く到達した人の勝ちである.
ロードバイクとマラソンをするからには良い成績を残すのが目的だ.つまり,レースでたまたま隣に並んだ見知らぬ鈴木さんや佐藤さんに勝つということだ.自己ベストを更新することは副次的な目的でしかない.そのレースで勝つことが目的なのだ.

ベストは尽くしているという言い訳

中学高校の頃に陸上をしていた頃に話しを巻き戻す.もちろん僕は試合で勝ちたかった.でも勝てなかった.勝てない理由もわからなかった.正確に言うと,勝てない理由を考えようとしなかった.部活の練習には毎日参加しているからまあこれでいいよね?といった考えて自分を納得させていた.私は優等生である自身があった.学校での授業の成績はそこそこ良かったし部活は欠席などしなかった.今思えば成績が良いとか部活皆勤賞という肩書きに逃げていた.中学校の頃は,部活の半分ほど欠席して毎日タバコを吸っている友人はめきめき成長してエースとなった.高校生の時は入部当時に私よりも格段に足の遅かった友人は,いつの間にか私の遙か前を走り,最終的には関東大会に出場し,部長を務めるに至った.いつの間にか,いや,最初から自分は諦めてしまっていたんだ.
試合が終わった後に,不甲斐ない成績だったからか泣き崩れる光景をたまに見るが,私はどれほど成績が悪くてもひょうひょうとしていた,だって諦めているんだもの.これくらいが自分の実力さ,ってね.今思うとスタートラインにすら立てていない.
そんなこんなで,とにかく勝ちたいのだが私は勝てない.どこかで諦めてしまう自分がいる.おまけに諦めている自覚すらない.ただ単に毎日をこなしていくだけの部員に成り下がった.
理屈の上では試合で勝つことは非常に簡単だ.誰よりも合理的に練習を積み,教科書通りの戦術で試合に臨めば99%の試合には勝つことができる.でもそれが私にはできなかった.

今では,なぜ自分が弱いままで終わったかはっきり言える.それは練習の時に自分を追い込めていなかったからだ.もちろん追い込めなかった理由は明確にある.私自身が進んで追い込みたくなかったからだ.心のどこかで体を追い込むことを拒否し,それがもとになって無意識のうちに力をセーブしてしまう.そして後になって,「頑張ったけどこれくらいのタイムだった」とか,「距離は全部走りきったから」とか理由にならない理由を考え,それで自分自身で納得してしまうのだ.脳天気なものである.ベストは尽くしているという言い訳ほど便利な言葉はない.ベストを尽くすと言うことは,単に心が弱いだけだ

運動をやめてから再び始めるまで

それから程なくして私はスポーツから離れた.もちろん離れたかったから離れた.大学に入学してから最近まで,つまり19〜31歳まではほとんど運動をしなかった.運動以外が私には向いていると考えて,ひたすら大学では機械工学に打ち込んだ.サークルは楽しかったし,専門的な研究ではいくつか賞ををいただいた.道を究めようとして博士号も取った.研究を通じていろんな人と知り合って世界は広がった.しかし,不思議なもので,運動をしないでいるとじわじわと,自分が気づかないほど遅いスピードでいろんなものが衰えてくる.なにが衰えてくるのか正確には言い表せないが衰えてくる.いつの間にか私生活や仕事にメリハリがなくなってくる.仕事でも徐々に成果が出なくなってきた.29〜31歳の頃は仕事もうまく行かず,人生で最もダークな時期だった.そして32歳の冬にランニングとロードバイクで上を目指そうと決心をした.中学高校生の時のような過ちはもう通用しない.上を目指すからには本気を出すしかない.知恵と大量を振り絞ろう.

数少ない成功体験

人生におけるスポーツは失敗体験そのものなのだが,スポーツではないのだが,やり切った!という感じの成功体験が1つだけある.これを紹介しておく.
とあるゲームで全国ランキング100位以内に入ったことがある.もちろん100位以内に入るためにできることは何でもやった.ゲームの時間は毎日必ず確保したし,同じステージをなんどもなんども繰り返し練習してスコアを上げた.行き詰まると違う攻略法を試して,どの方法が最も高得点を出せるのか研究した.ランキング締切の1時間前に,これが限界だと言わんばかりの渾身のスコアをたたき出し,残り1時間は祈った
この体験は生涯忘れないし,今後のロードバイクとランニングに活かそうと考えている.

目的論

あえて話しをそらすが許していただきたい.どうもスポーツにおいて私は本気を出すことができない.しかし,本気を出せないという表現は実は間違っている.心のどこかで本気を出したくないのだ.本気を出したくないから,本気を出せないという言い訳をするようになった.目的論についてはこの本を読めばだいたい分かる.まさに自分の弱さをついてきてくれる良書だ.

終わりに.再帰,そして今のスタイル

そんなこんなで32歳にして本気で上を目指そうと思った.やるからにはとことん目指す.紳士的であればどんな手でも使うつもりだ.たとえば,参加人数の少ない大会をわざとねらったり,お金さえあれば機材につぎ込むつもりだ.もちろん自分の肉体を鍛えない限り勝利がないことは百も承知だ.やはり前提条件として,自分の肉体を限界まで追い込めなくてはならない.分かっちゃいるが難しい.解決策はまだ見つかっていないがこんなことを今後色々試していく.
・ほどよいライバルを探す
・ブログを書いてモチベーションアップ
・瞑想してみるか?
なんとかして「追い込みたくないという無意識の壁」を取り払わなければならないことは分かっている.分かっただけでも大きな進歩だが,この無意識の壁をどうするか考えていきたい.もしかしたら一生掛けて取り組まなければならない自分の重大テーマかもしれないし,明日には解決しているかも知れない.
日々試行錯誤しているが,練習でうまく自分を追い込めたと思うときもたまにはあるが,失敗したと思うときの方が多い.なんとか自分のリミッターを外して追い込んでいきたいがもしもtwitterで怠けているようだったら叱っていただきたい.